死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

現代はいつまで現代なのか

日本史や世界史では古代、中世、近世、近代、現代といった時代区分があります。Wikipediaを見る限りだと、ヨーロッパ史では東欧革命、アジア史では第二次大戦後というように対象となる場所によって現代と近代の境が異なるようです。大辞泉だと世界史における現代は第一次大戦後だとか。地方によっても境が異なるので、世界全体を指してこれらの時代区分を用いるのは不親切だと思うのですがどうなんでしょうか。経済史の課題で前近代の経済について論じろという課題が出た際に、前近代っていつだよと当惑したことが蘇ってきます。

 
そんな時代区分が曖昧ではないかという個人的不満はさておき、現代はどこまで現代であり続けるのかが最近気になっています。現代も近代や中世以前の時代区分も、あくまで今現在の私たちの生きる時間から近いかどうかで名付けられているように感じます。これから年月が経った際に、自分が認識している現代が現代と呼ばれなり、旧現代やらと呼ばれる時が来るのでしょうか。または、現代は今後も現代と呼ばれ続け新しく新現代といった感じの名称が登場するのでしょうか。
 
また、Wikipedia大辞泉頼りの少ない情報ではありますが、時代区分には大規模な社会の変化が関わっているようです。今現在の現代の名称がどうなるかはさておき、今後大規模な社会変化は起こるのでしょうか。仮に太平の時代で大規模な変化が起こらなかったとしても、些細な変化の積み重ねは長い目で見ると以前とは大きな違いになっているだろうという点を考えると、そこまで続いてきた現代は最早私たちの認識している現代と同一視出来るものではなくなっているのではないか。
 
といった感じで現代はいつまで続き、長続きした現代は当初の現代とはかなり異なったそれになっているのではというよく分からない話。個人的には時代区分が新たに発生するような変化なしに時が過ぎればとは思います。