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死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

天気に関する雑感とかバッドコミュニケーションとか

いつの間にやら梅雨入りして、空模様が怪しい日が増えてきました。6月といえば梅雨、梅雨といえば「言の葉の庭」といった感じで秦基博のRainを歌いたくなったり。

 

個人的には、雨が降りそうな曇りという天気が一番苦手です。休日では雨が降りそうだから外出を控えろと暗に主張し、平日では使うかも分からない雨具の所持を強要される。高校では徒歩で駅まで行き、電車の後に自転車で登校という流れだったので傘と合羽の2つを持っていく羽目に。晴れでも雨でもなく、曇りにしても雨に近い中途半端な点が好かないのもあるのでしょうが、一番の理由は先述の高校時の経験によるものなのでしょう。

 

 進学等で環境が変わった当時の友人で数ヶ月から一年に一度程度会う関係の人とのコミュニケーション手段は、主に某緑色アプリやら水色のソフトやらであり、それらには音声通話機能があるといえども基本的には文字を用いてしか会話をしません。この手のツールを使うたびに、対面での会話には多くの情報があったと思い知らされます。文字のみに限られた会話では、相手の細かい感情は文字だけにまとめられる際に一部が捨て去られます。同様にこちらの感情の機微も文字にして相手に送る際に一部が放棄されて相互に対面と比して明らかに情報にかけるやりとりをする必要が生じます。対面ですら相手の感情を満足に把握できないと思われる自分にとってこれは一大事。双方が軽い気持ち、冗談で放った言葉は相手にとって全く異なる印象を与えうるし対面の機会が乏しいゆえにリカバリーも困難。正直に言ってとても難儀です。連絡を断つという手段もありますが、疎遠を恐れる気持ちが自己主張を始めます。そして再び、対面会話って相手を理解する上で偉大だったなと思うのです。面接がどこでも課されるわけです。

 

そんな感じのことを文面を送って数日後にもしかして自分は地雷を踏んだのではないかと文章を見返しながら思うのでした。後ろ向きに考えるのはきっと梅雨頃の一番嫌いな曇りとも雨ともつかないような天候のせいです。たぶん。