死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

褒め言葉をどう受け取ろう

今更ではありますが、大学の人たちは褒める類の会話が上手いと思います。頭がいいやら説明がうまいやらなんだかんだでいいところ行きそうやら……。褒められると悪い気がしないのは確かなのですが、褒められた点に関して調子にのる側面も否めないです。そんな感じに他者からの評価コメントをどう受け取るか適当に考えるだけです。
 
頂いた褒め言葉がお世辞や皮肉だった場合を考えます。実際の能力は高いとは言い難いのに自信だけはあるという大変残念な状況が形成されます。褒め言葉とお世辞等を見分けられ、その言葉が真に褒め言葉だったとしても、それはある人から見た評価であって他の大勢から見たら決していい評価ではない線もあります。ここまで考えたら、他者のプラス評価はいたずらに自信を持たせるだけでメリットがないように思えてきます。
 
それでは誰も俺を褒めるでない、褒め言葉も気にしないというスタンスでひたすらに自己を低く見積もればいいのではとも考えるのですが、今度は実際の能力が高かった場合に問題が生じます。能力が高いのに自分を低く言えば他者からはただの嫌味にしか見えません。これはこれで人間関係に難が生じます。他者の言葉を気にしないスタンスなら人間関係の難なんてどうってことない可能性もありますが。
 
人間関係は知ったこっちゃない孤高でいいのならばともかく、一般的には周囲との調和を保つことは大切なことです。そのためにはある程度多数の他者からの自分に対する評価と自己評価をなるべく乖離させず保つことが必要に思えます。そんなわけで、やはり他者から自分がどう評価されているか知ることは円滑に社会を過ごすのに役立つのでしょう。
 
ということで他者からの評価を自己評価の糧にしつつ、「褒められてもお世辞や皮肉かもしれないし、素直に喜びつつも謙虚に慢心しないようにしましょう」という既視感のある内容が出てきたところで終わります。