死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

そろそろ夏季休暇について考えよう

 大学で試験日程が発表されました。コマ数が2年後期と比べて減少しただけでなく、試験なしで評価される科目がいくつかあるので今期は随分と余裕があります。余裕があると言っても油断していたらあっさり単位を落とす可能性があるので楽観はできませんが。

 試験が終われば夏季休暇が控えています。旅行するなら誰と(あるいは1人で)どこに行くか、大学図書館の長期貸出で何を借りるか、如何に勉強するかなど計画が捗ります。一方で、翌年にリクルートスーツで蒸されながら街を彷徨っている身としてはこの時期に最盛期を迎えるインターンについても考えなければなりません。
 
 インターン。大学の講義で学んだ際には就職前に予想していたものと実際の職場のミスマッチを緩和する手段として挙げられていました。企業の青田買い的な面もあるようですけど。理系に関しては専門からくるスペシャリストとして、職場体験型で採用にも繋がりやすい印象がありますが、文系はどうなんでしょう。去年暇だからという理由で応募した某保険会社のインターンは、多人数で行われるワークショップ形式でグループで色々と作業をするものでした。大学の特集講義が似たような感じだったのですが、果たしてこれをインターンと称していいものなのか。しかし他人に薦めたいインターンランキングには上位であるという。大学の各種募集要項で調べても、文系はワークショップ形式が多いようでどこも同じようなことをしそうな印象。大学の教授もインターンに関しては採用に影響しない点や無料の労働力となる点で益にはならないと考える人がいるので、去年行ったこともあり今年はどうしようか悩ましいところです。
 
 何にせよ、夏季休暇のインターンの申し込みは長くても7月初旬くらいが締切です。早々に意思決定が必要となります。どうするか考える体で結局機会を逃すことが多いので、申し込まないにしてもだらだらと検討していたら終わったというオチに収まらないようにしたいものです。

経験に裏打ちされた自信

 ゼミネタ。紆余曲折を経て入ったゼミですが、まあ平穏にやっています。恐らく輪読というのでしょう、各人が担当する部分を読み込みスライドや配布資料を用いて発表を行った後に発表事態の感想や内容に関しての意見を言い合う形式で進行されています。もっとも教授との雑談で時間の多くが過ぎることもままあるのですが。

 ゼミの中でも、各種発言の際にこの人は意見に自信があるんだなと思うような人がいます。ゼミには自分みたいな無所属がいる一方で学生団体で企業の人と色々やってきた人や学祭関係であれこれした人と様々な人がいます。彼らは相応に目上の人との接触や文書の作成といった経験をしてきたために、言い方や文章や資料に関してのノウハウを心得ているのでしょうか。意見を言う際の話し方が明らかに他の人々と異なることがわかります。自信がある言動は羨ましくあることは否めません。自信があるとわかる意見はそれだけで強い印象を与えうるし、信頼性を上げるうるので。
 
 彼らのように自信がある物言いは、圧倒的に機会や経験が不足している自分には当分無理なことだと思われます。一方で、彼らの話し方に思うことがあるのも事実です。自信を持った話し方は自分が間違えている可能性を考えていないように思えて謙虚に話すべきではないかと言いたくなることもあります。それでも、経験は自分の能力を客観的に評価出来る機会であり、過剰でも過小でもない適度な自信の形成に貢献すると思われるため、彼らの自身への評価は周囲からのそれとの乖離があまりないのでしょう。大学で長いこと無所属だった自分には、多人数と様々なことを行う久々の組織となります。彼らとのやりとりで自分も適当な自信というものを形成していくのでしょうか。

睡眠サイクルの乱れ

睡眠サイクルが乱れに乱れています。平日に全休があると夜更かししがちになったり、3限から講義があってそれに間に合うように朝食と昼食の合わさったものを摂るという生活。当たり前に睡眠サイクルがおかしくなります。それでも一応はまともな体だったのですが連休で見事に崩壊。変な時間に寝て本来寝るべき時間に眠れない泥沼。睡眠が乱れると電車での睡眠が増えたり帰宅直後に寝たりと弊害が生じます。起きている時間もなんだかやる気にかけていてスー過去は放置。これはかなりよくないのでは。

 
そんな感じで今日の全休も謎の昼寝タイムがあってあまり行動できず過ぎ去り、睡眠サイクルの是正を迫られています。今日に限ればやる気の低下は好きではない湿っぽい曇りが一役買っているかもしれませんが。それにしても、睡眠サイクルの是正ってどうやるんでしょうね。昼寝を抑えて適切な時間に就寝が無難なのでしょうが、眠気が抑えられないから昼寝しているわけで。昼寝へと至る眠気を抑えるためにカフェイン摂取を心がけてカフェインファイターと化すことを試してみましょう。

褒め言葉をどう受け取ろう

今更ではありますが、大学の人たちは褒める類の会話が上手いと思います。頭がいいやら説明がうまいやらなんだかんだでいいところ行きそうやら……。褒められると悪い気がしないのは確かなのですが、褒められた点に関して調子にのる側面も否めないです。そんな感じに他者からの評価コメントをどう受け取るか適当に考えるだけです。
 
頂いた褒め言葉がお世辞や皮肉だった場合を考えます。実際の能力は高いとは言い難いのに自信だけはあるという大変残念な状況が形成されます。褒め言葉とお世辞等を見分けられ、その言葉が真に褒め言葉だったとしても、それはある人から見た評価であって他の大勢から見たら決していい評価ではない線もあります。ここまで考えたら、他者のプラス評価はいたずらに自信を持たせるだけでメリットがないように思えてきます。
 
それでは誰も俺を褒めるでない、褒め言葉も気にしないというスタンスでひたすらに自己を低く見積もればいいのではとも考えるのですが、今度は実際の能力が高かった場合に問題が生じます。能力が高いのに自分を低く言えば他者からはただの嫌味にしか見えません。これはこれで人間関係に難が生じます。他者の言葉を気にしないスタンスなら人間関係の難なんてどうってことない可能性もありますが。
 
人間関係は知ったこっちゃない孤高でいいのならばともかく、一般的には周囲との調和を保つことは大切なことです。そのためにはある程度多数の他者からの自分に対する評価と自己評価をなるべく乖離させず保つことが必要に思えます。そんなわけで、やはり他者から自分がどう評価されているか知ることは円滑に社会を過ごすのに役立つのでしょう。
 
ということで他者からの評価を自己評価の糧にしつつ、「褒められてもお世辞や皮肉かもしれないし、素直に喜びつつも謙虚に慢心しないようにしましょう」という既視感のある内容が出てきたところで終わります。

天気に関する雑感とかバッドコミュニケーションとか

いつの間にやら梅雨入りして、空模様が怪しい日が増えてきました。6月といえば梅雨、梅雨といえば「言の葉の庭」といった感じで秦基博のRainを歌いたくなったり。

 

個人的には、雨が降りそうな曇りという天気が一番苦手です。休日では雨が降りそうだから外出を控えろと暗に主張し、平日では使うかも分からない雨具の所持を強要される。高校では徒歩で駅まで行き、電車の後に自転車で登校という流れだったので傘と合羽の2つを持っていく羽目に。晴れでも雨でもなく、曇りにしても雨に近い中途半端な点が好かないのもあるのでしょうが、一番の理由は先述の高校時の経験によるものなのでしょう。

 

 進学等で環境が変わった当時の友人で数ヶ月から一年に一度程度会う関係の人とのコミュニケーション手段は、主に某緑色アプリやら水色のソフトやらであり、それらには音声通話機能があるといえども基本的には文字を用いてしか会話をしません。この手のツールを使うたびに、対面での会話には多くの情報があったと思い知らされます。文字のみに限られた会話では、相手の細かい感情は文字だけにまとめられる際に一部が捨て去られます。同様にこちらの感情の機微も文字にして相手に送る際に一部が放棄されて相互に対面と比して明らかに情報にかけるやりとりをする必要が生じます。対面ですら相手の感情を満足に把握できないと思われる自分にとってこれは一大事。双方が軽い気持ち、冗談で放った言葉は相手にとって全く異なる印象を与えうるし対面の機会が乏しいゆえにリカバリーも困難。正直に言ってとても難儀です。連絡を断つという手段もありますが、疎遠を恐れる気持ちが自己主張を始めます。そして再び、対面会話って相手を理解する上で偉大だったなと思うのです。面接がどこでも課されるわけです。

 

そんな感じのことを文面を送って数日後にもしかして自分は地雷を踏んだのではないかと文章を見返しながら思うのでした。後ろ向きに考えるのはきっと梅雨頃の一番嫌いな曇りとも雨ともつかないような天候のせいです。たぶん。

歪んだ男

マザーグースに「歪んだ男」というものがあります。ただ思い出しただけで内容との関係は全く無いですが。

 

数日前、大学で友人数人と昼食をとってると「性格が歪んでいる」と言われました。こちらとしては自覚はあまりないのですが、言われるからにはそうなんだろうという感じはします。一応は納得しつつも、周りになんとなく尋ねてみる衝動に駆られ、実際数人には聞きました。聞いておきながらなんではありますが、返ってくるのは気を使った回答である可能性が高いことを考えるとただの気休め程度になるかならないかというレベル。都合のいい回答を貰って肯定感に浸りたいだけかもしれません。結局どう思うかは人それぞれと言われて終わりましたが。

 

この手の相手に自分の悪い面について尋ねてみることで思うのは、尋ねる行為自体が悪い点になりうるのではということです。自分を面倒な人だとは思っても、それを他人に聞く行為は相手からしたら面倒な人間がする行為にほかならないでしょうし、では誰にも聞かずに悶々と考えるのが良いかといえば白黒つかないので思考がよろしくない方向に向かうこともあったりとこれもまた難儀。それでも自分の性格の負の面について他人に真面目に聞くのは自分にも相手にも利がないだろうから自分で悶々している方が害を撒き散らさない点ではいいのかもしれません。

 

余談ですが、先週友人にお前の文章は拗らせてる感がすごいという指摘を頂きました。やっぱり面倒な人と思われてそうですがそれを尋ねることはしないでおきます。

鬱と欝なら鬱派

大学の職業論でメンタルヘルスをやっているOBの方が来ました。職業論ではあるものの、職業自体というよりは職業につきまとうストレスと鬱病についての話です。そこで出てきたのは鬱病の3タイプ。なんでもメランコリー親和型、執着気質型、未熟型とあるそうで。メランコリー親和型は所謂イエスマンで、頼まれたことを断れずに負担になっていくタイプ。執着気質型は完璧主義。そして未熟型は検索してみたところ少し前に話題になった新型鬱病みたいなものらしく、前者2つと異なり外的なストレス要因から逃避するための鬱病とのことです。患者は20代に多く社会への経験不足やらから起こるとか。曰く、今の人は個人単位でゲームが出来るために集団で遊ぶのに乏しくコミュ障で我慢を知らないのが原因とのこと。我慢を知らないとは言いますが、我慢を極めたら社畜ルートだし、我慢をするから鬱病になることもあるわけで。そのあたりどうなんだろうかと思いはするのですが、日本語には「ほどほど」という便利な言葉があります。ほどほどに我慢するスキルが大切なのでしょう、多分。そしてここでひねくれ気味の思いを書いてそれとなく自己の正当化を図るのは割と未熟型のそれに近いとも考えられる気がしますが放置。

 
ストレス要因からの逃避で思い出しましたが、去年の8月のインターン後の円形脱毛症を振り返ると、当時はテストのミスを引きずりつつインターン行きたくないと嘆いていた精神状態でした。うまいこと執着気質からのストレスと逃避を求める未熟な精神からのストレスがタッグを組んで髪の毛を頭皮から逃避させたのかもしれません。
 
適当に書きましたが、とりあえずノンバイサーマンとして未熟型が手を振って待っている感が強いのでなんとなくは気にしようと思います。バイトサークルあたりを始めるのがお前のその性格の矯正には手っ取り早いと親兄弟が言いそうですが。