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死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

SNS現実疲れ

雑記

そこそこ長いこと放置していたのですが、何か書こうと思って文章を作っては別にいいかと考えて消すことを繰り返していたのでいい加減記事を作ろうと発起して今に至ります。

 

最近というか結構前から思うのがSNSに現実生活の人間関係を持ち込むものではないということです。Facebookで顕著ですが、現実で誰だかある程度把握している人の情報、特に楽しいだとかいった出来事を知るのはいい気分がしません。一方で、twitterでの会ったこともないような人の幸不幸については嫉妬羨望の面倒な感情が登場しません。一体何がこの違いを生むのか。大学生の現実での知り合い、特にSNSでのフォロー関係や友だち関係の対象は基本的に同じような大学生になりがちです。彼らと自分には見ず知らずの人と異なり共通点が多くあり、それ故に彼らと自分の何が違うのかと思ってしまうのでしょうか。個人的には同じ見ず知らずの大学生でも同じ地域の大学に通う人の方が雑多な感情を持つ傾向がありますし。そんな適当な事を考えつつも、人の不幸は蜜の味で幸は毒の味でもするのかとFacebooktwitterで知り合いの情報を見ては嫉妬羨望を貯めこむ生活をしています。

 

少しばかり書きましたが、比較して感情をこじらせるのは何故かと考えを巡らせるのはどうでもよくて、現在の問題はSNSを通しての比較が自分を疲弊させることが問題です。何が悲しくて憩いとして始めたようなSNSでストレスを感じなければならないのか。不満を書くにしても実生活への影響が怖い、リムるなりなんなりすればいいとしても、先述の通り。現実生活の人間関係を持ち込む欠点は容易に排除できないところにもあります。居心地が良い空間はどこへ行ったのか、建前社交辞令を用いてやりとりは実生活のそれと変わりません。かくしてSNSで負の感情を生成していくこととなりました。

 

実際のところ、自分がコミュ障と呼ばれる生き物だから先程のように思っているだけで一般的には現実の人間関係が云々と不満を持っている人は少ないかもしれません。それでも現状を考慮すると、あの時軽い気持ちでフォローするんじゃなかったと思わずにはいられないのでした。まあここに書いている時点で現実の知り合いの方々が見ている可能性はそこそこあるのですが、後は野となれ山となれということで……。