死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

返信がないときに考える事3段階

今更な話ですが、文字だろうと対面だろうと会話が得意ではありません。曰く反応に困るものを話すなど。これは大丈夫だと自分が判断したものでも、反応に困るという分類である場合もあります。そんなコミュニケーションスキルの結果、既読ないし未読で放置されることも少なくありません。ということで、放置されているときに思うことをいくつか述べます。

 

・第1段階:相手が忙しい

比較的楽観的な思考。特に相手が院生等で勉強中だったり、仕事が激務だと知っていれば、時間があっても気力がないというケースもあるので、気長に構えることになります。

 

・第2段階:自分が反応に困る発言をした

省みて落ち度を探す段階。隙きあらば自分語りよろしく、へーそうなんだとしか返答できない事を送ったのか検討しています。自省レベルに足を踏み入れてはいますが、精神的にはまだ安定。

 

・第3段階:自分が地雷を踏んだ

対面コミュニケーション以上に、文字コミュニケーションは難しいと幼少期に読んだインターネットエチケットの本にもありました。ともあれ、自分の発言が相手を傷つけたり気を逆撫でした可能性を考えます。しかし、問題発言の見当がついても、あるいはつかなくてもそれを切り出していいのかと詰まります。自分が思う問題発言が的外れだった場合は、相手からすれば更に気分を害するでしょう。また、「なにか悪いことした?」と尋ねるのは私は無自覚だという宣言になりえます。相手からすれば感情の機微に気付かないのかと思うのは必死です。この段階は、一種の一人相撲状態であり、身動きが取れなくなっています。

 

以上、3段階を辿ります。人と話したくとも、話すきっかけがなくてひねり出したら反応に困るものになってしまったり、反応がないと一人相撲に陥ったり、24年生きてきても相変わらず会話は難しい。

第3段階は特に悩みます。地雷を踏んだと考えても、それからどうすればいいのか、その経験値も足りません。高校時代に親友の地雷を無自覚に踏んだ時は、なんとか理由を聞いて平謝りしていましたし。実際には地雷を踏んでいなくて、そこで「なにか悪いことした」と聞くのは自滅であり、地雷を踏んでいても、先述の通り相手に人の感情に疎いと宣言することとなります。そうして固まって状況を悪化させる。親密な関係であるほど、落ち度を謝りたいと考えつつも、下手な発言をしてはいけないという思いもあり、ひたすらに沼にはまっていきます。座して待っても改善するわけではないので、動くべきなのでしょうが……、人間関係に臆病と言われたことを思い出します。

 

しかしこの記事、反応に困るものの典型である。