死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

近況やら緑色アプリやら対人やら

4月も20日になったところで、今更ではありますが晴れて大学3年生です。履修関係であった問題も無事に終わり、講義も初回は軒並み終わって一息ついた状況。

 

更新してなかったから書いておこうという感じなので近況をとりあえず。

3月末に東京に行ってきました。18きっぷで東西に長い静岡に若干飽きつつも移動し、国立科学博物館や上野公園の桜、上野東照宮明治神宮や新宿御所を回ってきた感じです。図らずも桜シーズンだったので、花見客が多く自分も写真の多くが桜だったので桜目当て旅行にいったかのようになっていました。それにしても東京は人が多いし駅の規模が大きい。田舎者にありがちな人の住む場所ではないとまではいきませんが、地元志向らしく愛知が恋しいとは思ったり。

履修で事務とちょっとありました。今は一段落ついて詳細は語りませんが、大学における教授の力がわかった気がします。ひとつ言えるのは、教授に足を向けて寝られないということ。

 

ついでになんとなく思ったこと。

某緑色アプリで既読がついて長く放置されていると残念な気分に襲われるのはよくある話ですが、ついてなくて長らく放置もまた然りで、メールで明らかに開封されていると分かりつつも同様に放置されててそこまでなんとも思わないのは何故か。適当に理由を考えると、メールと比してやりとりが可視化されてチャット的な短文のやりとりを頻繁に行うツールとしての印象があるからでしょうか。メールでもまるっと1週間ほど反応がなかったら切ないので、放置で心にくるまでの期間が某アプリと違うだけなのでしょう。そんなことを思いながら反応の有無から相手がどう思っているかを読めるようになりたいやら考えている昨今。

自分が相手をどう思っているかが第一で、相手に裏で嫌われていようといいではないかとは以前どこぞで書いた覚えがあるのですが、嫌われてもいいと思える人は自分にとってそれまでの人だったと言えばそれまでなのかもしれません。やはり嫌われたくない人というものは存在するのであって、嫌われることを回避するには相手の気持ちを考えて動くことが必要となります。心情がまるっと目視できればそれに越したことはないですが、実際は不可能で与えられるのは相手の言葉や態度くらいのものです。相手の言動から心情を考える流れは国語の問題でお馴染みですが、難儀なことに特定の言動が案外相手にとっては特に理由のないものだったりする場合もよくありますし、かと言ってそこで思考を放棄すれば人間関係は上手く回らないだろうし、適度に相手の心境を読める指標が存在すればいいのにとは何度も思います。都合のいいものが存在しないからコミュ力やらなんやらが珍重されるのでしょうが。

変に書き連ねましたが、実際この辺りは考えるだけ意味がないだろうという諦めもあり、適度に思考放棄を重ねて過ごすのだと思います。勢いの産物だからすぐに風化するだろうし。

 

一応新学期ではあるので、目標らしきものとして神社に行くことが最近多いのもあり御朱印帳で朱印を集めることを検討したり、公務員関係で数的推理の本を漁ったりはしています。1年後には説明会で首を上下に振りながら出来ない笑顔でメモをとっている光景が待っています。モラトリアムは思ったより早く終わりがくるのだなと感じながらまた今日も一日が消えていく……。