死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

読書で思ったこと

そこそこの頻度で本を読みます。学校の図書館は市町村のそれと比べて立ち寄りやすいのでついつい利用してしまいます。長期貸出もあり、大量の本を借りては一部読めずにそのまま返却するということを繰り返してきました。最近は新書を手にすることが多く、ちまちまと読み進めています。そして読了感に浸りつつ思う。自分はこの本の内容をどれだけ覚えているのだろうか。

 
自分の記憶力が残念なためかもしれませんが、結構な時間をかけて読んだ割には数日も経てば全内容を思い出すことが難しくなってきます。小説はストーリーという形で流れの記憶がまだ容易ですが、その他の本はそうもいかない。読書メーターで直近3ヶ月ほどに読んだ本を見てみたら、どんなことが書いてあったかの部分部分は出てきても全部は出てこない。日常生活のふとした瞬間に一部が思い出されることはありますが、記憶されているのは全体の何割なんでしょうか。速読術で大量に本を読んでいる人もいますが、大量に読んでどこまで内容が頭に残るのかは気になります。
 
一方で、読んでもあまり内容を覚えていないと書いておきながらも、別にそれでいいじゃないかとも考えます。暇な時間の過ごし方、小説では物語を楽しみ、新書等では知識を得る。試験があるやらゼミの輪読のためやらの理由がない限り、自分は読みたいから本を読んでいます。それは趣味や娯楽であって、内容を全部覚えるために読んでいるわけではありません。さらに言えば、試験やらスキルアップやらで本を読む人も、有用に思えたことだけを覚えるのであって他の部分の記憶に力を入れることはないでしょう。そもそも覚えている部分にしろ自分が面白い、興味深いと思ったところであり、それを探すために自分は読書をしているのかもしれません。情報が溢れる社会では有益な情報の取捨選択が大切とかいう文を何回か目にしたことがありますし、読んだからには全部覚えるという考えがナンセンスでした。反省します。そう考えると、速読は多くの本から自分にとって使えるだろう情報を探すためのスキルなのかもしれません。
 
ということで下手に気負いせずに好きなときに好きな本を好きな量読んでいく方針で。