死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

経験に裏打ちされた自信

 ゼミネタ。紆余曲折を経て入ったゼミですが、まあ平穏にやっています。恐らく輪読というのでしょう、各人が担当する部分を読み込みスライドや配布資料を用いて発表を行った後に発表事態の感想や内容に関しての意見を言い合う形式で進行されています。もっとも教授との雑談で時間の多くが過ぎることもままあるのですが。

 ゼミの中でも、各種発言の際にこの人は意見に自信があるんだなと思うような人がいます。ゼミには自分みたいな無所属がいる一方で学生団体で企業の人と色々やってきた人や学祭関係であれこれした人と様々な人がいます。彼らは相応に目上の人との接触や文書の作成といった経験をしてきたために、言い方や文章や資料に関してのノウハウを心得ているのでしょうか。意見を言う際の話し方が明らかに他の人々と異なることがわかります。自信がある言動は羨ましくあることは否めません。自信があるとわかる意見はそれだけで強い印象を与えうるし、信頼性を上げるうるので。
 
 彼らのように自信がある物言いは、圧倒的に機会や経験が不足している自分には当分無理なことだと思われます。一方で、彼らの話し方に思うことがあるのも事実です。自信を持った話し方は自分が間違えている可能性を考えていないように思えて謙虚に話すべきではないかと言いたくなることもあります。それでも、経験は自分の能力を客観的に評価出来る機会であり、過剰でも過小でもない適度な自信の形成に貢献すると思われるため、彼らの自身への評価は周囲からのそれとの乖離があまりないのでしょう。大学で長いこと無所属だった自分には、多人数と様々なことを行う久々の組織となります。彼らとのやりとりで自分も適当な自信というものを形成していくのでしょうか。