死なない程度に頑張ろう

眼鏡が無駄に考えたり考えなかったり

彼岸花と彼岸とか

なんだかんだで生きています。最近は積読と勉強を放置してスマブラに溺れる堕落が進行していますが一応元気です。

 

暑さも落ち着き「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を連想し、彼岸花も咲く季節となりお彼岸だなと感じる頃になりました。とか書いておきながら、彼岸の時期がわかっていないということに気付き調べてみたところ。春分秋分)を中日とした一週間を指すようで。つまり今日は彼岸まっただ中だということです。適当に使っている言葉の意味をあまり把握してないことが多いと感じる今日この頃。

 

彼岸花の方は彼岸より若干早い時期から神社や河川で咲き誇っているのが確認できます。初めて彼岸花を見たのは小学校低学年の頃で、近所の神社の森林で赤く怪しい雰囲気を纏っていたことを憶えています。木々で暗い中に咲く赤い花という点もありますが、今思えば葉がなかったのも異様な雰囲気の一因だったのかもしれません。三倍体で種子ができない。根に毒があるが、水に晒せば抜けるために救荒作物の面もあるなど調べるとなかなか面白い特徴もあったり。その花の形といい異名といい、見ているとどこか別の場所に吸い込まれるような感覚に襲われます。

 

かくして秋分の日となり夏休みの終わりを感じて彼岸花を眺めて虚無感やら寂しさやらをしみじみと味わっています。ああ、人肌が恋しくなる……。

夏休み途中経過

早いもので今日で8月が終わり、大学生の夏休みも折り返しを迎えつつあります。とりあえず前半は旅行したり肉焼いたり帰省した友人と遊んだり暇をこじらせてミレー展行ったり大学のシンポジウムを聴いてきたりとまあ列挙するには一応足ることはやってきたように思えます。後半は現状ゼミ合宿程度しか予定がないのでお察しになりそうですが。

 

美術館と学術系のシンポジウムを2日連続で観て聴いて思うのですが、その分野への素人にとっては(小並感)と文末に付きそうな言葉しか出てきません。美術作品に対して技巧を語れず、学問や政策にも理解が足りずに頷くのみ。それなのに何故行くんだという話でありますが、恐らくは自己満足なんでしょう。一般的に見れば程度の高いものと接して考え、取り込むことで自己の価値を高めようとするようなもので、周りから見れば滑稽かもしれません。それでも、対象を理解出来ずともその経験と忘れつつあっても微かに残る記憶がどこかで役に立つと信じているから自分は足を運ぶのかもしれません。この点はだいたい忘れていくのに何故本を読むのかという理由に近く思えます。

 

とまあ柄にも無い意識が高いのか低いのかわからない話をしましたが、勉強に対してはあまり手を付けていないのが現状です。各種本は相変わらず積まれてます。試験勉強も勉強のうちと申し訳程度に公務員テキストを見ているのですが、キャリア目標が定まっていないので力が入れづらくあります。入学時に親が公認会計士やら税理士やらのダブルスクールを薦めていたのを思い出し、明確なゴールが存在していたためにその選択はありだったのかと今更思ったり。一方で友人が学者という選択の話をしてきたり……。大学3年の夏休みにもなって未だにキャリアに悩むのってどうなんでしょうね。主に就活面で残された時間は少ないので悔いが残るかもしれませんが早めにキャリア目標を定めたいものです。

1年半ほど日記をつけて思ったこと

大学1年の11月のあたりから日記をつけ始めました。理由は当時虚無感があったので生活記録を残しておけば充足感が得られるかなという感じの軽いもの。手書きだと出先で書くに不便そうなのでevernoteに入力する形で始めました。当初は数日に一回書く程度だったのですが、今となっては毎日書く習慣がついています。そこで日記によるメリットらしきものを簡単に書いてみようという話です。

 
・備忘録になる
見返していつどんな出来事があったのか思い出せる、それだけ。自分のようにデジタルで打ち込む形だと検索を利用できて便利です。「これって前もあった気がする」という場合に当時の詳細な内容が手に入るのは便利なものです。
 
・状況を俯瞰できる
トラブルがあった場合などに、時間を置いて一回文字におこすことで当時の精神状態から離れた分析がある程度可能になります。自分の落ち度も誰にも見せない日記でかつ文字ならば、まだ素直に出せるはず。
 
・明確に一日の終りを設定できる
日中の出来事をメモ程度に書くことはありますが、それを文章へと変えるのは基本的に就寝前です。日記を書くまでが今日です。その点で生活にメリハリがつくと言えるかもしれません。あくまでも一日の終了が定まるだけなので夜更かし等は度外視ですが。
 
・文章力のようなものが身につく
質が向上するかはさておき、文章を作ることに慣れるようになります。大学の教授も日記を付ける人の書く文章はある程度わかると暗に日記を推奨していまし、多分効果はあるはず。私の文章力については例外とみなします。
 
以上、1年半ほど日記をつけて思ったメリットになります。時々見返して顔を青くしたり自らの進歩の無さに愕然としたりすることもありますが、それも含めてなかなかに面白いのでこの機会に日記を始めてみるのはいかがでしょうか。

夏休みじゃーい

4日に今期最後の試験が終わり、晴れて夏休みになりました。来年は暑い中スーツで歩き回る就活が控えているので今年が院進や留年等の例外を考慮しなければ好き勝手に行動できる最後の夏休みとなります。

 

さて、そんな夏休みの予定ですが見事にまっさらです。色々言っておきながら某メーカーの2週間の実務体験型インターンに申し込み、面接で落とされていたら見事に暇になりました。面接に関しては、ゼミの選考でもそうだったのですが事前に考えたことを言えずに無難を極めて終わってしまった感覚が強く、その点で同じ落とされるにしても後悔が残ります。中学以来言われ続けている「面接で落とされるタイプ」という言葉が現実味を帯びて襲ってくるのですが、来年まで労働市場がもっていればなんとかなってくれませんかね……。あくまでもインターンは予行、本番ではないと思いこむことで気分を保っています。非常に残念なことに就活後ろ倒しでインターンによる囲い込みが増すという言説も結構目にするわけなんですが。悩んで申し込まなかったものも多々あったので数撃ちゃ当たる理論で出しておけばよかったかもしれません。

 

貯めていたハナヤマタの1話を見ました。主人公が入学時に部活に入ることを検討したけど勇気がなかったと独白しているシーンで、「あー」と共感を示したりしています。もっとも、主人公は行動して自分は行動しなかったという違いがありますが。今にしてみれば、後戻りできない選択だと思っていたものにしても面倒なら離脱という手があって、結構手当たり次第にやっておく方が得策だったように思えます。何故そこまで躊躇ったんだ自分という感じです。インターンの申し込みでも都合が悪くなったなら辞退メールを送ればいいという話なので、とりあえずやっておくことが出来ないという点では昔と変わってないのでしょう。

 

かくして、まっさらな予定から連想されたインターンの面接と所属する勇気がなかった話ととりあえず行動が出来ないという話になりました。割と同じ話題に流れこむあたり進歩の遅さが伺えます。別に「圧倒的成長」というものをしたいわけではないのですが、頻繁に自覚している欠点くらい是正したいものです。

来期時間割の暇

 試験が近いということで取らぬ単位の皮算用をしていると、来期の時間割が気になりました。調べてみたところ、仮に今期に単位を落とさず全部取れた場合に来期最低限必要なコマ数は4コマ(うちゼミ1コマ含む)。来期に開講される選択必修科目は5コマ。そして、ゼミがどこに入るかを考えずに同じ曜日に必要なコマを集めると大学に行くのは週2。現在週4で大学に通っているのですが、それが半分になる計算です。

 

 週2まで大学に行く日数が減ると居住地によっては定期無しのほうが安くつく可能性があります。そして平日に3日の休み。正直な話暇です。忙しいより暇がいいとかねてより語っていた自分ではありますが、一週間の半分が休みだと逆に暇すぎて困ります。家族以外の人との接触が減って気も滅入りそうです。自堕落な生活から人間らしさが削られていきそうです。普通はサークル活動などで大学に行く機会があるのでしょうが、残念ながら現在無所属。やはり暇です。そうか、サークル活動は暇な文系大学生のためにあったのか、幽霊部員良くないと失礼なことを勢いで考えました。人間らしさを保つために公務員のダブルスクールを検討する程度に人との接触の減少を危惧しています。暇なのは喜ばしい、人付き合いは控えめがモットーなはずなのに、来期の暇に関しては陰鬱に感じるのは何故なのでしょうか。

行きたい居場所を書くだけ

夏休みのお出かけを考えている中、とりあえず行き隊ところを列挙してみようと思ったので淡々と書いていく次第です。

 
遷宮前に行ったことがあるが、遷宮後の新しいくなったものも見たい。更に御朱印を貰いたい。
 
琵琶湖に浮かぶ島。日本史でちょっと出てくる都久夫須麻神社という神社がある。
 
天理(奈良県
天理教の都市で景観が独特。卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳や七支刀がある石上神宮があったり。
 
日間賀島(愛知)
多幸と福の島。ということでタコとフグが有名。下関のフグはここのフグだという話。タコアイコンとしてはやはり。
 
飛騨(岐阜)
高山やら下呂やら。下呂温泉でゆっくりしたい。高山の町並みを回りたい。
 
鎌倉(神奈川)
鶴岡八幡宮とか鎌倉五山を見たい。大銀杏はなくなってしまったんだっけ。
 
苔寺(京都)
正しくは西芳寺。要予約だそうで。周辺には鈴虫寺などがあるそうな。ついでに京都の他の寺社も巡れる。
 
こうしてみると寺社率の高さが目立ちます。日本史選択の性なのでしょうか。明らかに複数人で行くには向かない場所ばかりです。複数人での旅行は家族と修学旅行以外で1回あった程度だと考えると悲しいようなそうでないような……。

渡らない石橋と付け焼きブレード

 何かに申し込むということが苦手です。申し込むと、やっぱり辞めたいと思っても後戻りが出来ないので、本当に申し込んで後悔はないのかとひどく考えこんでしまいます。そして考えこんだ果てに、またはいつの間にやら記憶の彼方に消え去って期限が過ぎることに。最終的には酸っぱいブドウこと認知的不協和に陥るという。アルバイトは特に時間の制約が大きいのもあってその考えが強く、結局何もしないで短期でたまにやる程度しかありません。

 

 さて、何度目かわからないインターンの話です。周囲の人がインターンに申し込んで、適性検査やら志望動機について話していると、文系インターンは大体企業の宣伝で本番への影響は薄いと理解しつつも自分はやる必要があるのだろうかと周りに流されながら思います。インターンは5日だけでも去年の経験上時間的にかなり縛られていた感覚があります。自分がバイトしてないからそう思うかもしれないのですが。仮に申し込むとしても、プレエントリーだけでも以降放置していたら就活本番で悪影響があるのではと考えて種類に目を通すだけ通して固まり、石橋は渡らず認知的不協和が登場する展開が見えてきます。結局意図的に吟味するのを放棄してわざとらしく勢いに乗るしか申し込むことはないのでしょう。尤も、去年は勢いで申し込んだ後に後悔に襲われて、インターン後は円形脱毛症になったわけですが。また、勢いに任せるとなると、早く書類を揃えないと一気に後悔に襲われてモチベーションが低下してしまいます。故に発生する付け焼き刃の文章。申し込むにしても無駄に落ちる可能性を高めて徒労に終わる確率を自分から高めているような気がしてなりません。というわけで、何かを決めるのは何か(主に時間)を犠牲にするので決断を躊躇ってどうしようもないという話です。端的に言えば優柔不断ってことですね。勢いに任せつつその勢いを意図的に保持できれば付け焼き刃加減も幾分かマシになるのでしょうか……。